2022年の教室内容変更について

今後の教室について

内容の変更をお伝えします。

久しぶりに更新です。

講師母も私もそうですが、2月1日から 5日にかけて、コロナに陽性になり、20日まで自宅隔離で静養していました。その後、母が二度目の脳梗塞になりましたが、幸い軽い症状ですので問題はありません。

現在、コロナ下で、生徒さんが社会人女性で一人のみとなっています。その女性も、お気遣い頂いて、オミクロン株が収まるまで、お休みですが、基本、新規の生徒さんの受け入れは可能です。

今後は、水曜午前10時から1時間の時間枠で、キャンセルで当日の場合は変更無しの条件でよろしければ、母が対応をさせて頂きます。

上記の内容とは別に新しいサービスがありますので、次回のブログのお知らせでご説明したいと思います。

教室について お知らせ

2020年になりまして、84歳の講師である母に、身体の変化が始まりました。
今後の教室の運営についてお伝えしたいことがあります。

●授業について
・こどもの対応はいったん中止。
・大人のきび書道、フリーの授業は存続。
・大人は、一日一組に限定。
・基本一ヶ月更新

●月謝、回数について
・今後の授業料の検討。
・回数も一回分少ない形態へ。

●事務局から
一時的に、立つ事も、文字も書けない状況もありましたが、だいぶ回復しております。
生徒や保護者の皆さまには、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
今後は、母の様子を見ながら、対応していきたいと思います。

玄関にギャッベを新調。

ギャッベ
皆さん、ギャッベという絨毯をご存知でしょうか?
教室の玄関の上り框(あがりかまち)に三枚新調致しました。
購入先:北欧のディーラーさんから個人輸入しました。玄関マットサイズで、三枚とも、おそらく同じ織り手さんだと思われます。
素材:ウール。色は、天然っぽいですが、確認はしておりません。
厚み:16mmという極厚ですが、もともとギャッペというのは、50mmだったでそうです。もちろん、16mmでも、相当厚いと感じます。
導入の背景:
元々、玄関で靴を脱ぎ、くつ下の状態で、家に上がって、教室に入る時はいいのですが、帰る時が大変だと思います。
教室自体が、床暖房で、快適なのに、授業が終わって教室を出てから靴を履くまでが、相当足の裏が冷たいようでした。
それをなんとか改善したいということで、導入に至りました。生徒さんの親御さんからは結構好評で、担当者の私としては、手応えを感じております。
以上、ご報告でした。

第64回 岡山県児童生徒 書道展

暑い日が続いています。
今日は、埼玉県・熊谷で41.1度 国内観測史上最高気温を記録していますが、
皆様は、いかがお過ごしでしょうか?
さて、本題です。
第64回 岡山県児童生徒 書道展のポスターをアップ致します。

3.11、現実、桜流し、歌詞を書く。

春は、歌を口ずさんでしまう季節だ。
ところが、春うららかな季節だというのに、
明るい気分にならない景色に出くわしてしまった。
それは昨年の春、桜が終わりかけの時期だった。
家の近くに、住宅街の間に流れる川があり、そこには堤防沿いの道がある。
用事を済ませた私は、いつものように自転車で走っていた。
すると、視界の中に、違和感のある景色に出くわしてしまった。

川に流れる桜の花びら。

そこは、閉じられた水門の手前水面全体に、浮かんでいた何かがあった。
ピンク色の何かである。
よく見ると、散った桜の花が浮かんでいたのだ。
花びらは膨大で、テニスコートにすると何面分になるだろうか。

本来、川のせせらぎに落ちる桜の花びらは、絵になる美しさを感じられるものだ。
が、コンクリートの堤防に囲まれていて、黒く濁った水が背景だと、そういう訳にはいかない。
なんとも言えない陰鬱な不気味さを感じてしまったのだ。
この感覚がどこから来るのか、しばらく分からなかった。
記憶の糸をたぐり寄せた時、これが宇多田ヒカルが作曲した『桜流し』を指しているのだと分かったのだ。
この瞬間、この景色と震災と曲が、つながってしまったのである。
曲自体、3.11をモチーフとして、とある映画のエンディングのために作られたのは知ってはいた。
すると、散った桜の花びら一つ一つが、津波で流されて命を失った人々に思えて来る。
そして、遺(のこ)されたと人の悲しみに、強く共感している自分がいる。
現実の桜流しの風景を見れば見る程、この曲のフレーズは強烈に突き刺さってくる。

“開いたばかりの花が散るのを見ていた木立の遣(や)る瀬無きかな”

古語が歌詞に織り込まれているのか、聴けば聴く程、心を揺さぶられるのだ。
確かに、あの災害は、未曾有の出来事だった。
ただ、3月11日のあの日を、100年単位で、関心を持たせるのは難しいのではないだろうか。
だが、この曲は違う何かがある。未来へと伝えていく圧倒的なエネルギーを感じるのだ。
後で知ったことだが、映画監督から、宇多田ヒカル氏は以下のような言葉で作曲の依頼を受けていたらしい。
“映画監督から曲の依頼を受けた時に言われた「もしも表現者であるならばこの震災から目を背けて作品を作ることは決してできない」という言葉に共感し、引き受けた」”
とあった。その時の口調は文面では想像出来ないが、あの場面に遭遇して、宇多田ヒカル氏の覚悟というものは、強く共感させられたのだ。

音楽やカラオケで、この曲に触れる方法もあるが、このエネルギー感のある歌詞を筆で書いて欲しい。
きっと何かを感じることが出来るであろう。

春の終りに書くこのブログは、何度書き直したことだろうか。
あまり、覚えていない。

化粧品で年賀状を作る。

奥左が、アイライナーで、右が整髪料になります、
私が犬を描くと、どうしてもクマになってしまいます。

あけましておめでとうございます。
みなさんは、どんなお正月を、過ごされたでしょうか?

さて、
本題の年賀状ですが、パソコンで作りたい気持ちは正直なところありました。
ただ、あえて、手で文字を書き、パステルを使って絵など描いてみたいと思います。

ところが、葉書は、和紙と違い、墨汁や、パステルを使うと、雨の日や、擦れで台無しになってしまいます。
そこでどうするか?
それが、『化粧品で年賀状を作る。』ということなのです。

そこで、押さえどころは、まず2つ。
・謹賀新年の文字は、化粧品の黒のアイライナーで書く。
・パステル画は、擦れても大丈夫なように、整髪料を使う。

そして、
・細かな文字は、基本、筆ペンで書く。
という感じでやってみました。

アイライナーは、100均のお店で十分です。
アイライナー自体、顔に書く筆記用具と思ってしまえば問題ありません。
十分過ぎる程の強い発色があり、裏写りしませんでした。

整髪料の事ですが、
水彩画はどうかわかりませんが、パステル画でやってみたところ、いい感じに仕上がりました。
本来は、フィキサチーフという美術画材屋さんで売っている高価なものですが、女性の整髪料を使うことで、解決出来ました。

来年はイノシシですが、みなさん、上記の方法で、お試し頂ければと思います。

第35回 岡山県児童生徒 新春競書大会

当教室では、12月5日に、山陽新聞社に持込致しますので、その前日までには、ご応募頂ければと思います。
よろしくお願いします。

第35回 岡山県児童生徒 新春競書大会 

教室横の植栽購入先

教室向かって右の庭にある植栽のご紹介です。

たまに、ご近所さんとか、通りがかりの人、生徒さんから、この花は、どこで買ったのですか?と聞かれることがあるので、改めて、ご紹介させて頂きます。(敬称略)

・北区田中のaxcis nalfにあるChels Green
・犬養木堂生家の北側にあるワイズペレニアル
・茶屋町駅近く?の清光園芸
・大阪谷町の、abcde STUDIO

というとこでしょうか。
詳細なご質問は、当ホームページよりお問い合わせ下さい。
お電話番号を送って頂ければ、折り返し、お電話をさせて頂きます。

郵便ポストを拭き上げる男達。

郵政民営化の前日、郵便ポストを拭き上げる男がいた。

太田いと書道教室に、最近、社会人の女性が、手紙をさらっと書きたいので、岡山で書道教室を探される方が、増えてきていると実感しております。
今回は、手紙の入り口である郵便ポストを取り上げてみました。文体は、かつてNHKFMで、クロスオーバーイレブンという番組があり、そのナレーションの原稿のような感じで書いてみました。津嘉山正種氏の声をイメージしながらお読み頂ければと思います。

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世間一般、プライベートなコミュニケーションが、手紙からSNSに置き換わる中で、
直筆の手紙を出したり、受け取る人は、どれくらいいるのだろうか?
そんな今の時代、郵便ポストの存在は、どんな意味を持つのだろうか?
ちょっと昔の話になるが、その事について、強く感じさせられた事があった。

ある日、家路を急いでいた私は、家の近所で、奇妙な光景を目にした。

それは、郵便ポストの前で、車から男性三人が降りてきて、ポストに何か始めようとしていたのだ。
一人が、日本酒の瓶を取り出し、ポストに透明な液体を振りかける。
さらに、三人が、持っていたぞうきんで、ポストを拭きあげ始めたのだ。
私は、その数分間、あっけに取られながらも、様子を、興味深く見ていた。
あの透明な液体は、何かなと考えをめぐらすと、あ、そうか、日本酒なんだと気付かされた。

その日は郵政民営化する、まさに前日であり、郵政省最後の日でもある。
こんな事をするのは、まさに郵便局の職員で、ポストへの感謝と、お別れをしているような意図を感じた。
すると、私は、彼らの時代を惜しむ気持ちと感謝の姿に共感して、涙ぐんでしまった。

その光景を見てから何年か過ぎ、私は、郵便局の職員と話す機会があった。
いい機会なので、昔、自分が目撃したポストを拭き上げた人の話を聞いてもらった。
その職員は、公式にはそういった事は知らないが、職員の立場からすると、彼らの気持ちはとてもよく分かるのだそうだ。
彼が言うには、郵便ポストという存在は、郵便事業の根幹の存在であり、大切な存在だと教えられた。

私は、実家に戻る度に、家路の脇で、郵便ポストが、景色に馴染むように佇んでいる。
だが、こんな話を思い出す度に、郵便ポストが、擬人化のイメージを越えて、道祖神やお地蔵さまのようなものに見えてくる。
私も、一筆箋で手紙を書いて、切手を貼って、郵便ポスト、いや、郵便ポストさまに投函してみようかなと、思ってしまうのだ。